福嶋祐輔は政治家のお父さんと元客室乗務員のお母さんとの間に、1979年に生まれています。育ちがいいんですよね。明るく、曇りのないまっすぐな性格は、こうした生育環境によるのではないでしょうか。そういう縁なのでしょうが、同じく芸能界に進んだ元首相の子息とは、デビュー前からの親友だったそうです。普通なら文系の学部に進んで将来政治家を目指すというところでしょうが、そうはなりませんでした。
福嶋祐輔が贔屓にしていたプロ野球チームが、彼が六歳のとき優勝、日本一に輝いたのに大きな感動を受け、祐輔少年はプロ野球選手を志してしまうのです。先にも触れたようにめきめき力をつけ、小学生の全日本選抜チームではキャプテンを務め、中学生時代にもやはり全日本選抜チームに招かれ、キャプテンを務めています。選手としての実力はもちろんですが、監督の信頼が厚く、チームメイトにも慕われる人間的大きさを、すでに幼くして持っていたのでしょう。
ちなみに地元横須賀の軟式野球少年クラブチームにも所属し、同じくキャプテンとして関東大会優勝、全国大会進出を果たしています。普通なら中学でも野球部に入りそうなものですが、自分がキャプテンを任されたクラブチームの練習を優先するため、高校でのクラブ活動では理科部を選んでいます。福嶋祐輔という男が、何事にも筋を通す、仲間を大切にする人物だったということが、こうした部分からも判るのです。
高校は、地元神奈川代表として甲子園常連の強豪校に進学。たちまちレギュラー入りし、正捕手の座を射止めます。本当は別の、尊敬する人物が監督を務める茨城県の強豪校に進むつもりだったそうですが、中三の時に見たその神奈川の強豪校の投手に魅せられ「彼の球を受けたい」という理由で志望校を変更したのでした。思い込んだら一途な福嶋祐輔の熱い性格が現れていますね。結局在学中は正捕手として、その憧れのエースピッチャーの球を受けていました。
福嶋祐輔が二年生のとき、新入生であのマツザカが入部してきます。現在はメジャーリーガーとして大活躍の彼ですが、高校で最初にバッテリーを組んだのが実は祐輔だったのです。しかし残念なことに、その年の神奈川大会の試合中に右肘の神経断裂という大けがを負い、甲子園ではやむなく後輩に正捕手の座を譲ることとなったのでした。
福嶋祐輔の参考情報 → プラネックス福嶋祐輔って何?
プラネックスの企業サイト → 福嶋祐輔(プラネックス CEO)